北方領土の日本家屋
北方領土の日本家屋
択捉島水産會事務 択捉島水産會事務
日本家屋 修理を重ね、外観は変わったが日本家屋(国後)
紗那郵便局 紗那郵便局
(戦前手前に無線棟が立っていた)
電話ケーブル 択捉島と結ぶ電話ケーブル
(国後・爺爺岳)
孵化場 蘂取村の孵化場(択捉 )


歴史の証
 北方領土には、戦前およそ3,250棟の建物があった。これらの建物の大半は1960年代に取り壊され、残された建物も長い歳月で傷み、現在は皆無に近い。
 こうした中、ビザなし交流をとおして、戦前の日本の建物がわずかながら確認されるようになった。しかし、いずれの建物も老朽化が著しく進んでいる。現在、択捉島紗那に残存する2棟の建物「択捉島水産會事務所」と「紗那郵便局」も壊されようとしている。『わずかに残されたこの建物をなんとか保存してほしい』と、われわれは再三ロシア人に強く要望してきた。こうした日本人の心を受け止め、ロシア人が老朽化の激しい水産會の建物の修理を試みたが、下手をすれば壊れてしまう。戦前の日本家屋の修理は不可能との結論が出された。
 ロシア人は、建物保存に寄せる日本人の心を尊重し、『水産會を取り壊す。もう1棟の日本家屋「郵便局」も老朽が激しいので近々閉鎖し、その後取り壊す予定である』旨を伝えてきた。建物を取り壊す前に知らせてきたことは、画期的である。これは、13年間にわたり、地道にビザなし交流を重ねてきた成果であり、島に在住するロシア人との信頼と友情関係が確実に育まれてきた表われと確信している。こうした状況をふまえ、私たちはこの建物の保存は急を要すると判断、関係団体と対応を検討し、直ちに行動を起こすこととした。
戦前の紗那市街
戦前の紗那市街
中央二階建ての建物が「択捉島水産會事務所」右隣りの大きな平屋の建物が「紗那郵便局」それ以外の建物は全て崩壊した


択捉島水産會事務所
 大正10年に公布された水産會法制定を機に、択捉島の漁業従事者が中心となり、大正12年にそれまでの択捉島水産組合を「択捉島水産會」に変更、その年の11月5日に認可された。會の主な事業は水産業の改良と発展・普及を図ることだった。水産會事務所は、島の水産業に従事していた方々の寄付金で建てられた。建物は、島では唯一の二階建てだった。
 この建物の中には、「択捉島水産會」地元の「択捉漁業会」のほか、国や道の出先機関(函館税関出張所、北海道水産物検査所)が入っていた。建物の構造は、当時の洋風日本家屋《トラス構造(合掌組み作り)》で、屋根の梁ダンブ飾りが特徴的、モダンな建築である。土台もコンクリート打ちされており、建設には相当お金をかけた様子が窺がえる。これに類した建物は、現在函館市に数棟残っており、これらは市の保存指定住宅になっている。
 建物は、昭和20(1945)年以降、ソ連の住宅供給事務所、地区共産党議会事務所、新聞社、全ソ連邦陸海空義勇団(軍隊に入隊する前の若者を育成する団体)が次々と使用し、2001年からは空き家である。この問この建物は2回(1962年と1972年ごろ)修理された。2回目の工事で、日本時代の外壁板の上から板を平らに打ちつけている。 修理の状況
紗那郵便局
 紗那郵便局は明治18年2月1日に開局した。その後、明治30年10月1日に2等郵便局の指定を受け、昭和5年11月に無線電信局も設置された。昭和20年8月28日、択捉島のソ連軍上陸をここの無線から根室落石無線局に逓信省郵政局長宛打電している。建物は開局後一度建て替えられ、建て替えた建物は平屋の日本家屋だった。その後、後方に二階を増築している。 紗那郵便局
平成16年8月、保存準備委員会を立ち上げ、8月と12月に建物調査を行った

建物保存特別決議文
 戦前、北方四島には約3,250棟の日本家屋がありました。しかし、現在、当時の建物はほとんど残っていません。
 こうした中、捉島の紗那には「択捉島水産會事務所」と「紗那郵便局」の2棟の建物が残存しています。
 この郵便局は、60年前ソ連軍の上陸を電信で本土に伝えた歴史的建物です。今、この2つの建物は老朽化が進み崩壊しようとしています。
 日本人が住んでいた貴重な証でもあるこの建物を残すことは大きな意義があり、保存に向け私たち国民一人一人の力を結集させましょう。
平成17年北方領土返還要求全国大会
左「択捉島水産會事務所」 右「紗那郵便局」
左「択捉島水産會事務所」 右「紗那郵便局」(平成16年12月撮影)

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