北方領土に関する各種資料
外務省 われらの北方領土 2010年版より抜粋
東京宣言及びそれ以降の流れ

( 1 )エリツィン大統領の訪日と東京宣言

 こうして、エリツィン大統領は93年10月11日から13日までの日程で日本を公式訪問しました。この訪問では、日露両国の首脳が領土問題を含む二国間関係及び国際情勢について率直に話し合った結果、今後の日露関係の進展のための新たな基盤を作ることができました。

 この協議の成果は、両首脳によって署名された「日露関係に関する東京宣言」に結実されています。具体的には、( イ ) 領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題であると位置付けたこと、( ロ ) 領土問題を、①歴史的・法的事実に立脚し、②両国の間で合意の上作成された諸文書及び③法と正義の原則を基礎として解決するとの明確な交渉指針を示したこと、( ハ ) ロシアが、ソ連と国家としての継続性を有する同一の国家であり、日本とソ連との間のすべての条約その他の国際約束は日本とロシアとの間で引き続き適用されることを確認したこと、( ニ ) 「全体主義の遺産」、「過去の遺産」の克服という考え方がうたわれたことです。

 これによって、新生ロシアとの間での領土問題解決に向けての、新たに前進した交渉基盤が確立されました。なお、エリツィン大統領は、10月13日の共同記者会見において、かかる「条約その他の国際約束」の中に1956年の日ソ共同宣言が含まれることを明らかにしました。

 エリツィン大統領の訪日は、以上の通り、日露新時代へ向けて重要な一歩を記すものとなりました。この訪問をフォローアップするため、94年3月には、羽田副総理兼外相がモスクワを訪問し、チェルノムィルジン首相、コズィレフ外相等と会談して、東京宣言を基礎に領土問題の解決のため一歩一歩前進することで日露双方が一致しました。

 また、94年7月のナポリ・サミットでは、G7首脳とエリツィン大統領との会談において、村山総理より、東京宣言に基づく日露関係の完全な正常化の必要性を強調し、また、河野副総理兼外相からも、サミットの議論の中でロシアが法と正義に基づく協調外交を継続することの重要性を指摘しました。さらに94年11月下旬にはサスコベッツ第一副首相が訪日し、東京宣言、なかんずく第二項に依拠しつつ、平和条約の早期締結のため更に一貫して前進していく両国の意図が改めて確認されました。

 また、95年3月の日露外相会談においても、東京宣言に基づき日露関係を前進させるべきであるとの認識が確認されました。さらに、95年9月には、95年が戦後50周年の節目に当たる年であることを踏まえ、村山総理発エリツィン大統領宛の口頭メッセージを伝達し、領土問題解決に向けての具体的前進を両国国民に示していくことが必要であることを改めて強調しましたが、エリツィン大統領からの回答は、両国間に存在する困難な諸問題は、静かに、急ぐことなく、現実の状況を見つつ、両国民の利益を考慮して解決すべきであるとして従来からの慎重な姿勢を確認するにとどまりました。

 日ソ共同宣言による国交回復40周年に当たった96年は、両国間の政治対話が強化されました。

 96年1月には、橋本内閣発足に際しての総理就任祝いのメッセージに対する返礼として、橋本総理は、両国関係を真のパートナーシップの水準まで高めるためには、領土問題を解決し平和条約を締結することにより日露関係を完全に正常化することが極めて重要であることを改めて強調するとともに、同年は1956年の日ソ共同宣言による国交回復後四十周年という節目の年であり、東京宣言を基礎として日露関係の前進を図るべく一層努力していくことが必要であり、そのためにエリツィン大統領の協力を得たい旨のエリツィン大統領にあてたメッセージを発出しました。

 96年3月、池田外相が訪露し、第六回日露外相間定期協議及び貿易経済に関する政府間委員会第一回会合を行い、二つの協議を通じ政治経済両面にわたり日露関係の基盤を拡充することができました。領土問題に関しては、エリツィン大統領より、東京宣言の原則・内容を維持するのみならず、これに基づき両国関係を発展させていきたいとの発言があり、またプリマコフ外相よりも同様の発言がありました。

 さらに、四島駐留ロシア軍の撤退問題に関して、プリマコフ外相より、四島の非武装化のための努力を払ってきており、現在四島にいるロシア軍は約3500人で色丹島には軍はいなくなったとの説明があり、本件につき進展があったことが明らかにされました。

 96年4月、橋本総理が原子力安全サミット出席のためモスクワを訪問した際、エリツィン大統領との間で首脳会談が行われました。会談では、ロシアの改革路線の堅持を確認するとともに、外相レベルでの平和条約交渉の活性化及びそのための大統領選挙後の次官級の平和条約作業部会の再開、4月末の防衛庁長官の訪露、日本とロシア極東地域との関係の強化・発展などの諸点で認識の一致があり、日露関係全般をバランスよく前進させるための政治的弾みをつけることができました。

 96年6月のリヨン・サミットの際に行われた日露外相会談においては、東京宣言を基礎として平和条約締結に向け少しでも近づくよう努力しているとのロシア側の発言を受け、わが方より、大統領選挙後に平和条約交渉を再活性化するために次官級の平和条約作業部会を再開するとの4月の日露首脳会談で合意した道筋で領土問題を解決していくことが重要であることを改めて指摘しました。

 96年7月のロシア大統領選挙決選投票の結果を踏まえ、橋本総理はエリツィン大統領と電話会談を行い、同大統領の再選に対する祝意を表明するとともに、日露関係前進のための協力を促しました。エリツィン大統領はこれに同意するとともに、総理の訪露を改めて招請しました。96年10月には、国交回復40周年を記念して日露両国首脳によるメッセージの交換を行いました。

 96年11月、プリマコフ外相が訪日し、池田外相との間で第7回日露外相間定期協議が行われました。その結果、東京宣言に基づいて両国関係を前進させていくことが改めて確認されました。特に領土問題については、我が方より領土交渉と領土問題解決のための環境整備の両面における努力を車の両輪のごとく同時に図る必要があるとの考え方を強調したのに対し、ロシア側は、先ずは環境整備を行うというのがロシア側の哲学であるが、環境整備の問題をもって領土問題を代替するとか、ブレーキをかけるということではないとの反応でした。

 また、ロシア側より、未だ十分に検討したわけではないがとしつつ、四島の主権に関するそれぞれの立場を守るという原則に立って、四島における日露の「共同経済活動」を進めるという考え方に言及がなされました。これに対して我が方より、帰属の問題を棚上げし、あるいは代替するものであってはならないが、更に詳細な提案がロシア側より提示されれば、日本側として検討することにやぶさかでない旨応じました。

 97年5月、池田外相が訪露し、プリマコフ外相との間で第八回日露外相間定期協議を行ったほか、エリツィン大統領、ネムツォフ第一副首相と会談を行い、領土問題の解決と各般の分野における関係強化に向けた話合いを行う中で、特に首脳レベルを含む日露間の政治対話を一層緊密化し、進展させることで一致しました。

 97年6月、デンバー・サミットの際に、橋本総理はエリツィン大統領と日露首脳会談を行い、首脳会談を年一回定期的に行うことにつき基本的に一致しました。また、橋本総理より、領土問題について、この問題を含め、両国が直面している種々の問題を話し合う必要があり、まずは東京宣言を着実に進めて行く必要があると述べたのに対し、エリツィン大統領はこれを受け入れる旨述べました。97年7月、橋本総理は経済同友会での演説の中で、「信頼」「相互利益」及び「長期的な視点」を日露関係に関する三つの原則として提唱しました。

( 2 )クラスノヤルスク合意と川奈合意

 97年11月、橋本総理はクラスノヤルスクを訪問し、エリツィン大統領との「ネクタイなし」の会談で胸襟を開いた話し合いを行いました。この首脳会談によって両首脳間の個人的信頼関係・友情が一層深められるとともに、領土問題をはじめとして、政治、経済、安全保障等の各分野において一連の成果が均衡のとれた形で達成されました。

 特に領土問題については、「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意しました(クラスノヤルスク合意)。また、北方四島周辺水域における日本漁船の操業枠組みに関する交渉については、できる限り九七年末を目途に妥結するようにそれぞれの代表団に指示することで一致しました。

 これを受けて、日露双方が精力的に交渉を行った結果、97年末に同交渉は実質的に妥結し、翌年2月の小渕外相の訪露の際に、「日本国政府とロシア連邦政府との間の海洋生物資源についての操業の分野における協力の若干の事項に関する協定」が署名されました。

 また、両首脳は、今後の両国間の経済協力促進のよりどころとして、投資協力イニシアティブやロシアの国際経済体制への統合の促進等六つの柱からなる「橋本・エリツィン・プラン」を作成することで一致しました。さらにロシアのアジア太平洋への統合を促進するとの観点より、橋本総理よりロシアのAPEC参加に対する支持が表明されました。

 97年11月、プリマコフ外相が訪日し、小渕外相との間で第9回日露外相間定期協議を行い、先に行われた日露首脳会談のフォローアップを行いました。平和条約交渉について、両外相は、クラスノヤルスク合意を受けて平和条約の締結に関する作業を質的に新たなレベルに引き上げるため、両外相をヘッドとし、次官レベルで交渉を行うグループを設置することで一致しました。

 これを受け、98年1月、平和条約交渉のための次官級協議が行われ、両国外相を共同議長とする「平和条約締結問題日露合同委員会」が立ち上げられました。

 98年2月、小渕外相が訪露し、エリツィン大統領、チェルノムィルジン首相らと会談を行ったほか、プリマコフ外相と平和条約締結問題日露合同委員会の共同議長間の最初の会合及び第十回日露外相間定期協議を行いました。領土問題については、エリツィン大統領との会談において、クラスノヤルスク合意を再確認し、また、プリマコフ外相との会談では、クラスノヤルスク合意を前進させることの必要性につき確認しました。

 98年4月、エリツィン大統領が訪日し、静岡県伊東市川奈で橋本総理と二度目の「ネクタイなし」の会談を行いました。この首脳会談では、クラスノヤルスクで培われた両首脳間の信頼関係が一層深められ、先の会談以後着実に進展してきた日露関係がすべての分野にわたり一層拡充されました。

 特に平和条約については、「同条約が東京宣言第二項に基づき四島の帰属の問題を解決することを内容とし、二十一世紀に向けての日露の友好協力に関する原則等を盛り込むものとなるべきこと」で一致しました(川奈合意)。さらに、橋本総理よリエリツィン大統領に対し、領土問題解決のための提案(川奈提案)が行われました。

 また、経済分野では、ロシアヘの投資促進のため、ロシアと協力して「投資会社」を設立することを検討することとし、また、一連の新規の協力項目も加え、引き続き「橋本・エリツィン・プラン」を深化・拡充しつつ、着実に実施していくことで一致しました。98年7月、日ソ・日露関係においてロシアの首相として初めてキリエンコ首相が訪日し、東京宣言を遵守するというロシア側の姿勢が改めて明らかにされました。

 小渕新内閣発足後の98年9月、橋本前総理が内閣総理大臣外交最高顧問として訪露し、エリツィン大統領と会談し、クラスノヤルスク合意の実現のために引き続き努力していくとの点で一致しました。

 98年10月、高村外相が訪露し、イワノフ外相との間で第11回日露外相間定期協議及び平和条約締結問題日露合同委員会議長間会合を行い、会談後、日露共同発表という文書の形で、クラスノヤルスク合意及び川奈合意を再確認し、川奈提案に対するロシア側の回答については、小渕総理の訪露の際に行われることを確認しました。

( 3 ) 小渕総理大臣の訪露とモスクワ宣言

 98年11月、小渕総理がロシアを公式訪問し、エリツィン大統領との間で日露首脳会談を行うとともに、プリマコフ首相とも会談しました。この総理訪露は、我が国の総理大臣による25年振りの公式訪露でした。

 両首脳は、首脳会談の結果を踏まえ、「日露間の創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言」に署名しました。この宣言においては、日露両国が二十一世紀に向けて、政治、経済、安全保障、文化、国際協力等のあらゆる分野において日露間の協力を一層強化し、「信頼」の強化を通じて「合意」の時代へと両国関係を発展させるという両首脳の決意がうたわれています。

 平和条約問題については、エリツィン大統領より川奈提案に対するロシア側の回答が提示され、日本側はこれを持ち帰って検討し、99年早期にもあり得べき首脳会談までに検討結果を回答することとなりました。モスクワ宣言の中で両首脳は、東京宣言並びにクラスノヤルスク合意及び川奈合意に基づいて平和条約の締結に関する交渉を加速するよう両政府に対して指示しました。

 両首脳は、また、同宣言にあるとおり、平和条約を2000年までに締結するよう全力を尽くすとの決意を再確認し、このため平和条約締結問題日露合同委員会の枠内に国境画定委員会を設置するとともに、国境画定委員会と並行して活動する共同経済活動委員会を設置し、四島においていかなる共同経済活動を双方の法的立場を害することなく実施し得るかについて検討することで一致しました。

 さらに、人道的見地から、元島民及びその家族の方々による四島への最大限に簡易化されたいわゆる自由訪問を実施することにつき原則的に合意し、この訪問の手続について事務当局間で検討することとなりました。

 99年2月、イワノフ外相が訪日し、高村外相との間で平和条約締結問題日露合同委員会共同議長間会合が行われました。平和条約交渉については、ロシア側提案及び我が方の川奈提案につき大臣レベルで話合いが行われ、日本側はクラスノヤルスク合意を実現するための最良の案は川奈提案であるという考え方を踏まえて議論を行いました。

 また、同年5月には高村外相が訪露し、イワノフ外相と同様の会合を行い、川奈提案とロシア側提案につき引き続き率直な話合いを行いました。なお、この会談で両外相は、元島民の四島への自由訪問の実施方式につき基本的に一致しました。

 99年6月、ケルン・サミットの際、小渕総理はエリツィン大統領と首脳会談を行いました。小渕総理からは、「秋には是非訪日してほしい。21世紀には、ボリス(エリツィン大統領)と私で新しい時代を作ろう。クラスノヤルスク合意を実現して国境線を画定し、平和条約を結ぶという歴史的な仕事をボリスとやりたい。」と述べ、これに対しエリツィン大統領は、賛成であると三回にわたり繰り返すとともに、国境線の画定は自分が提案したことであると述べました。

( 4 ) プーチン大統領の訪日前後

 99年末のエリツィン大統領の突然の辞任を受け、ロシアではプーチン政権が誕生しました。そして、2000年4月、森総理が訪露し、プーチン大統領(当時は大統領代行)とサンクトペテルブルクで非公式首脳会談を行いました。この会談では、日露間の戦略的・地政学的提携、幅広い経済的協力、平和条約の締結という三つの課題を同時に進行させ、21世紀に向けて新しい両国関係を作るための基礎を形成するよう努力することで一致しました。

 2000年7月、九州・沖縄サミットの際、日露首脳会談が行われ、プーチン大統領の訪日を9月に行うことを確認しました。これを受け、プーチン大統領は2000年9月3日から5日までの日程で日本を公式訪問しました。

 森総理との首脳会談の結果、両首脳は「平和条約問題に関する声明」に署名しました。その中で両首脳は、( イ ) 「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」とのクラスノヤルスク合意の実現のための努力を継続すること、( ロ ) これまでに達成された両国間の全ての諸合意に依拠しつつ、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を策定すべく、交渉を継続すること、( ハ ) 平和条約交渉の効率性を高めるため、種々の措置をとることを確認しました。また、首脳会談において、プーチン大統領より、「56年の日ソ共同宣言は有効と考える」との趣旨の発言がありました。

 さらに、2000年11月のブルネイにおけるAPEC首脳会議の際の日露首脳会談、2001年1月の河野大臣の訪露など、緊密な対話が行われました。

( 5 ) イルクーツク首脳会談

 2001年3月、森総理はイルクーツクを訪問し、プーチン大統領と日露首脳会談を行いました。この会談の結果、両首脳は「イルクーツク声明」に署名し、日露両国がクラスノヤルスク合意に基づき平和条約の締結に向けて全力で取り組んできた結果を総括し、今後の平和条約交渉の新たな基礎を形成することができました。

 具体的には、56年の日ソ共同宣言が平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認し、その上で、93年の東京宣言に基づき、四島の帰属に関する問題を解決することにより平和条約を締結すべきことを再確認しました。さらに、今後、平和条約締結に向けた具体的方向性を、あり得べき最も早い時点で決定することに合意しました。

 その後、7月のジェノバ・サミット、また、10月の上海におけるAPEC首脳会議、さらに、2002年においても6月のカナナスキス・サミットの際の日露首脳会談が行われるなど、様々なレベルで平和条約交渉が行われました。

( 6 ) 小泉総理大臣の訪露と「日露行動計画」

 2003年1月、小泉総理がロシアを公式訪問し、プーチン大統領との間で日露首脳会談を行いました。両首脳は、首脳会談の成果を踏まえ、「日露行動計画の採択に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の共同声明」に署名しました。

 声明の中で両首脳は、北方四島の帰属に関する問題を解決することにより平和条約を可能な限り早期に締結し、日露関係を正常化すべきであるとの決意を確認し、強い政治的意思を表明しました。また、「日露行動計画」の中で両首脳は、「政治対話の深化」、「平和条約交渉」、「国際舞台における協力」、「貿易経済分野における協力」、「防衛・治安分野における関係の発展」、「文化・国民間交流の進展」という六つの柱を中心として、幅広い分野で日露関係を進展させていくことに合意しました。

 領土問題に関しては、「平和条約交渉」の項目において、56年の日ソ共同宣言、93年の東京宣言、2001年のイルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属に関する問題を解決することにより平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎であるとの認識に立脚し、引き続き残る諸問題の早期解決のために交渉を加速することとされました。

 また、日露両国の今後の行動として、啓発資料を共同で作成する等世論啓発の努力を継続することや四島交流事業を発展させていくこと等が確認されました。その後、2003年5月、小泉総理がサンクトペテルブルク建都三百周年記念式典に出席した際に、日露首脳会談が行われ、プーチン大統領より、極めて重要な問題である領土問題を解決したいとの強い気持ちを持っており、これを先延ばししたり、「沼に埋めよう」というような考えは持っていないとの趣旨の発言がありました。

( 7 ) 2005年のプーチン大統領訪日

 2004年3月にはロシアの大統領選挙が行われ、プーチン大統領が高い支持率で再選されました。また、同年6月、シーアイランド・サミットの際、小泉総理はプーチン大統領と首脳会談を行いました。小泉総理からは、日露修好150周年に当たる2005年という歴史的な節目の年に向けて、平和条約交渉を具体的かつ実質的に前進させることが、日露両首脳に課せられた使命であることを改めて強調し、プーチン大統領も領土問題を解決して平和条約を締結することが必要と考えていることを再認識しました。

 同年6月、川口外相が訪露し、ラヴロフ外相との間で会談を行い、「四島の帰属に関する問題を解決して平和条約を締結する」という共通の交渉の指針を再確認するとともに、両外相より双方の専門家に対し平和条約交渉を加速するよう改めて指示しました。

 同年11月、ラヴロフ外相は、ロシアのテレビ番組において、(イ)ロシアはソ連の継承国であり、ソ連の義務の中には56年の日ソ共同宣言が含まれる、(ロ)同宣言は、歯舞群島及び色丹島の二島を日本に引き渡し、これにより終止符を打つことを規定している旨述べるとともに、(ハ)対日関係の重要性、領土問題の解決による平和条約締結の必要性を強調しました。プーチン大統領は、ラヴロフ外相のこの発言を支持し、さらに、56年の日ソ共同宣言に関連して、(イ)ロシアはすべての義務を履行してきたし、今後も履行していく、(ロ)ただし、それは、我々のパートナーが同じ合意を履行する用意がある程度と同程度においてであり、そのような程度について理解し合うには至っていないと発言しました。このプーチン大統領及びラヴロフ外相の発言は、日露関係と平和条約締結の重要性及びロシアが1956年の日ソ共同宣言に基づく義務を負っていることをロシア国民に対して明確に述べたもので、平和条約交渉に対するある種の真剣さの表れと言えます。

 しかしながら、ロシア側が言うニ島の引渡しによる領土問題の最終的な解決については、仮に二島のみの引渡しで最終決着できたのであれば1956年当時に平和条約が締結されていたはずであり、我が方として受け入れられるものではありません。このような我が国政府の考えについては、この発言の直後にサンティアゴで行われたAPEC閣僚会議の際の日露外相会談においても、町村外相よりラヴロフ外相に対し説明しました。

 また、2005年1月に町村外相が訪露した際に、日露外相会談が行われ、領土問題については、両国の立場に隔たりがあるが、真剣な話合いを続けていくことでこの隔たりを埋める努力を続けていくこと、プーチン大統領の訪日に向けて引き続き領土問題について精力的に交渉を進めていくことで意見が一致しました。

 同年5月、小泉総理が第二次世界大戦終了60周年記念式典に出席するために訪露した際に、日露首脳会談が行われ、両首脳は、プーチン大統領の訪日に向け、平和条約問題及び実務分野の準備を精力的に進めることを確認しました。その後、7月のグレンイーグルズ・サミットの際の日露首脳会談の結果、プーチン大統領の訪日を11月20日から22日まで実施することで一致しました。

 11月20日、プーチン大統領が5年振りに我が国を訪問し、21日、小泉総理はプーチン大統領との間で日露首脳会談を行いました。会談においては、「日露行動計画」に基づき日露関係が幅広い分野で順調に発展していることが確認されるとともに、大統領訪日の成果として、日露協力の更なる強化のための12の実務文書が作成されました。

 領土問題に関しては、小泉総理より、1956年の日ソ共同宣言、1993年の東京宣言、2003年の「日露行動計画」等のこれまでの諸文書は極めて重要かつ有効であり、これらに基づいて平和条約締結交渉を継続していく必要がある。両国には、四島の帰属に関する問題を解決して平和条約を可能な限り早期に締結するとの共通の認識があり、双方が受け入れられる解決を見いだす努力を続けていきたい旨述べました。これに対してプーチン大統領より、この問題を解決することは我々の責務である、ロシアは本当にこの問題を解決したいと思っている、平和条約が存在しないことが日露関係の経済発展を阻害している旨応じるところがありました。その上で、両首脳は、双方の立場の隔たりを埋めるため、これまでの諸合意及び諸文書に基づき、日露両国が共に受け入れられる解決を見いだす努力を続けていくことで一致しました。

( 8 ) 2006年以降の流れ

 2006年7月、小泉総理がサンクトペテルブルク・サミットに出席するために訪露した際に、プーチン大統領と日露首脳会談を行いました。小泉総理は、これまでの諸合意及び諸文書に基づき、四島の帰属の問題を解決し、平和条約を早期に締結するため、引き続き真剣な努力を継続することが両政府の責務であり、交渉を活発化させるため、両外務大臣ほかに指示を出そうと述べました。これに対してプーチン大統領は、自分も領土問題を解決して平和条約を結びたいと考えている、両国間の協議を活性化させたい、自分からも協議を活性化させるよう担当者に指示する、引き続きあらゆる分野における関係の全面的発展のために努力していきたいと述べました。また、両首脳は、平和条約問題の解決に向けた環境整備を進める観点から、北方四島を含む隣接地域において、日露両国が共同で地震・津波対策等、防災分野で協力することについて協議していくことで一致しました。さらに、両首脳は、四島交流、自由訪問及び墓参について、高齢化する元島民の負担軽減の観点から、引き続き改善していくことで認識が一致しました。

 同年11月にハノイで行われたAPEC首脳会議の際の日露首脳会談において、両首脳は、「日露行動計画」を基礎として、幅広い分野で協力を一層進め、両国間に「共通の戦略的利益に基づくパートナーシップ」を構築していくことで一致しました。北方領土問題については、これまでに達成された諸合意及び諸文書に基づき双方に受入れ可能な解決策を見いだすため、政治レベル及び事務レベルで更に精力的に交渉していくことで一致しました。また、同日、麻生外相とラヴロフ外相との間で行われた日露外相会談において、両国外務省間の事務レベルのトップ間で「戦略対話」を開始することが合意されたことについて、両首脳はこれを歓迎しました。

 2007年2月、フラトコフ首相が訪日した際の安倍総理との会談において、双方は、日露関係の潜在力を十分に発揮していくためにも、領土問題の解決が重要であるとの認識を確認し、これまでの諸合意及び諸文書に基づき、日露双方が共に受け入れられる解決策を見いだすため更に精力的に交渉していくことで一致しました。また、領土交渉進展の環境整備にも資するものとして、北方四島を含む日露の隣接地域において地震、津波等の自然災害や対処の分野における協力を具体化させることで一致し、協力の具体的方向性を記述した協力プログラムが署名されました。

 同年5月、麻生外相が訪露してラヴロフ外相との会談を行い、北方領土問題に関して精力的に交渉を続けていくことを確認したほか、フラトコフ首相が訪日した際に作成された協力プログラムに従い、北方四島を含む日露の隣接地域における防災分野での具体的な協力を実施していくことを確認しました。また、防災分野での協力に続いて、既存の枠組みの下で同地域における生態系の保全及び持続可能な利用に関する協力を行うことについて検討するため、両国の専門家間で議論させることで一致しました。

 同年6月のハイリゲンダム・サミットの際の日露首脳会談では、安倍総理から、近年、「日露行動計画」に基づき、幅広い分野で日露関係が順調に発展してきているが、今後は、領土問題の解決に向けて、同行動計画の重要な柱である平和条約交渉についても進展を図っていく必要があることを強く申し入れた上で、北方領土問題を先送りしたり、棚上げしたりしないで、最終的に解決すべく、交渉を促進させようと述べました。これに対して、プーチン大統領は、両国間の障害となるものを全て取り除きたい、平和条約交渉のプロセスを停滞させず、促進させるよう改めて指示を出したい旨述べ、両首脳は、北方領土問題の解決を図るべく精力的に交渉を行うことで一致しました。

  

 引き続き、同年9月にシドニーでのAPEC首脳会議の際に日露首脳会談が行われ、ハイリゲンダムでの首脳会談を踏まえ、安倍総理から、日露関係をより高い次元に引き上げるには平和条約の締結が不可欠である等強調しました。プーチン大統領からは、双方に受入れ可能な解決策を見いだすことに関心を有しており、このための作業を、本年も、また、大統領選挙の後も続けていきたいと述べました。その上で、両首脳は、具体的な進展が得られるよう、両首脳が指示を出し、今後、進展を図るべく日露双方が一層努力していくことで一致しました。

 同年10月23日、ラヴロフ外相が訪日し、高村外相との間で日露外相会談を行いました。ラヴロフ外相は、プーチン大統領から「露日関係においていかなる停滞もあってはならない」旨指示を受けていると述べました。この会談で、両外相は、日露関係をより高い次元に引き上げるための努力を行うとともに、領土問題の最終的解決に向け、これまでの諸合意及び諸文書に基づき、双方に受入れ可能な解決策を真剣に検討していくことを確認しました。

 2008年4月、高村外相が訪露した際に行われた外相会談において、ラヴロフ外相は、国境画定問題に関して双方に受入れ可能な解決策を積極的に模索する用意があり、ロシアの指導部がこの作業を続けていく意思を持っていることに疑いはない、双方にとり受入れ可能な解決策を見いだすために全力を尽くす旨述べました。その上で両大臣はこのような解決策を見いだすべく更に真剣に交渉を続けていくことで一致しました。

 引き続き、同月、福田総理が非公式に訪露し、プーチン大統領との間で首脳会談を行いました。会談においては、日露関係を高い次元に引き上げていくためにも、交渉の進展を図る必要性があることで一致するとともに、これまでの諸合意及び諸文書に基づき、双方が受入れ可能な解決策を、首脳レベルを含め、今後とも話し合っていくこと、そのために両首脳が改めて指示を出すことで一致しました。また、福田総理はメドヴェージェフ次期大統領とも会談を行い、首脳会談における合意事項につき、メドヴェージェフ次期大統領との間でも一致しました。

( 9 ) メドヴェージェフ大統領の就任

 2008年5月、メドヴェージェフ大統領が就任し、同年7月に北海道洞爺湖サミットに出席するために訪日しました。その際に行われた日露首脳会談では、福田総理から、両国関係を高い次元に引き上げるためには、唯一の政治懸案である領土問題を解決し、国民のわだかまりを取り除く必要がある旨述べたのに対し、メドヴェージェフ大統領から、領土問題が解決されれば、両国関係が最高水準に引き上げられることに疑いがなく、現状の両国関係を抜本的に変えられると思う旨述べました。その上で、両首脳は、現段階での両首脳間の共通の認識として、次の諸点で一致しました。

  1. アジア太平洋地域において、日露両国が協力と連携を深めていくことは、両国の戦略的な利益に合致するのみならず、この地域の安定と繁栄に貢献するためにも必要であること。

  2. 戦略的に重要な隣国である両国間に平和条約が存在しないことは、幅広い分野における日露関係の進展にとり支障になっていること。日露双方とも両国関係を完全に正常化するため、この問題を棚上げすることなく、できるだけ早期に解決することを強く望んでいること。

  3. 平和条約については、日露間の領土問題を最終的に解決するものでなければならないこと。この問題の解決は、日露両国の利益に合致し、双方にとって受入れ可能なものでなければならないこと。

  4. 日露双方は、以上の共通認識に従い、これまでに達成された諸合意及び諸文書に基づき、平和条約につき、首脳レベルを含む交渉を誠実に行なっていく意向であること。そして、この問題を最終的に解決するために前進しようとする決意が双方において存在すること。

 同年11月に、ラヴロフ外相が訪日して行われた日露外相会談では、ラヴロフ外相から、この問題の解決を真に欲しており、そのためには互いに極端な立場から離れ、妥協の精神の下、受入れ可能な解決策を模索する必要がある旨述べたのに対し、中曽根外相から、交渉の現状についての我が方の率直な評価を述べ、領土交渉についても、経済分野等に見られる質的な進展に見合うような進展を図らなければならない旨指摘しました。その上で、両外相は、同年7月の首脳会談で一致した共通の認識に従い、外相レベルにおいても、北方領土の帰属の問題を最終的に解決するために前進する決意で一致しました。

 また、同月ペルーで行われたAPEC首脳会合の際の日露首脳会談においては、麻生総理より、自分が外務大臣を務めていた1年半前と比べて、経済関係が進展しているのに比べて平和条約交渉が進展していない、官僚のメンタリティを打破しなければならない旨率直に指摘したのに対し、メドヴェージェフ大統領より、この問題の解決を次世代にゆだねることは考えていない、より重要なのは首脳の立場であり、首脳の善意と政治的意志があれば解決できる旨述べました。その上で、両首脳は、来年、首脳レベルの集中的な話合いを行っていくことで一致するとともに、これらの首脳レベルの会談を念頭に、今後必要となる作業に言及した上で、具体的な作業に入るよう、事務方に指示を下ろすことで一致しました。

 2009年2月、麻生総理がサハリンを訪問し、メドヴェージェフ大統領との間で会談を行いました。会談においては、両首脳の間で、領土問題について、(イ)この問題を我々の世代で解決すること、(ロ)これまでに達成された諸合意及び諸文書に基づいて作業を行うこと、(ハ)メドヴェージェフ大統領が指示を出した、「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」の下で作業を行うこと、(ニ)帰属の問題の最終的な解決につながるような作業を加速すべく追加的な指示を出すことで一致しました。

 同年5月、参議院予算委員会において、従来から日本側が主張している立場に基づき麻生総理がロシアによる北方四島の「不法占拠」が続いている旨答弁したのに対し、ロシア側は、「容認し難い」との声明を発表(ロシア外務省)するなど、これに強く反発しました。

 また、同年6月、衆議院において北方領土が「我が国固有の領土」であることを明記した北方領土問題等解決促進特別措置法の改正法案が可決されたのに対し、ロシア連邦国家院(下院)は「平和条約問題の解決へ向けた努力は(中略)改正法案が撤回されない限り意味を持たない」との声明を採択しました。

 このような状況の中、同年7月、ラクイラ・サミットの際に日露首脳会談が行われました。この会談では、メドヴェージェフ大統領から、北方四島の帰属の問題に関する大統領自身の考え方について、包括的な説明がありました。ロシア側の説明は、残念ながら日本側にとって満足のいくものではありませんでしたが、両首脳は、(イ)ロシア側には、引き続き、独創的なアプローチの下で、あらゆるオプションを検討していく用意があること、(ロ)その上で、双方は、これまでに達成された諸合意・諸文書に基づき、引き続き、双方に受入れ可能な解決策を模索していくこと、(ハ)そのために両首脳が、解決策を見出すよう作業を加速・強化させるべく指示を出すこと、(ニ)これらの作業において、事務レベルのみならず、電話会談等を含め首脳レベルでも話し合う必要があること、で一致しました。

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