北方領土に関する各種資料
外務省 われらの北方領土 2010年版より抜粋
日ソ共同宣言

 ソ連はサンフランシスコ会議にグロムイコ代表を送り、そこに用意された平和条約の案に対して長時間にわたる反対演説を行ったうえ、同案があたかも極東で新しく戦争を準備するものである云々の理由を挙げつつ、調印を拒否しました。

 そのため、種々の困難を経て、1955年6月、日本とソ連の間で個別の平和条約を結ぶための交渉が始まりました。この交渉で日ソ両国政府の間には歯舞群島及び色丹島を除いては領土問題について意見が一致する見通しが立たなかったので、1956年9月29日の「松本・グロムイコ書簡」で、領土問題を含め平和条約を結ぶための交渉は日本とソ連の間で正常な外交関係が再開された後に続けられるという合意ができました。そしてその結果、平和条約を結ぶための交渉はまず国交を回復するための交渉に切り換えられました。

 こうして1956年10月19日、日ソ共同宣言が署名されました。この宣言は平和条約の締結について、日本とソ連の間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を続ける(第九項前段)とし、続いて、歯舞群島及び色丹島についてふれ、ソ連は日本の要望にこたえかつ日本の利益を考慮して歯舞群島及び色丹島を日本に引き渡すことに同意する、ただし、これらの島は、日本とソ連との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする(同項後段)と規定しています。

 このように、平和条約の締結交渉は外交関係回復の後に継続されることとなっています。平和条約の内容となるべき重要な問題の中で、日ソ共同宣言で解決されなかったのは領土問題、すなわち、国後、択捉両島の問題にほかなりません。したがって、この国後、択捉両島の我が国への返還問題こそが、平和条約締結交渉によって解決されるはずの問題であることは、前に述べた「松本・グロムイコ書簡」からみても、日ソ共同宣言第九項からみても当然でした。

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