北方四島交流訪問事業 国後島~択捉島
視察参加者/報告:神奈川県民会議副会長 白石 俊雄
日程1 第20回ビザなし交流団
 平成23年8月18日より5日間にわたって、第20回北方四島交流訪問事業に参加してきました。
 第1日目の日程は結団式、事前研修会などでした。
 第20回ビザなし交流団です。担当県は奈良県民会議、団長は奈良県議会新谷(しんたに)議長他、国会議員、学識者、各県民会議、元島民、政府代表者、医師、記者、通訳、事務局など総勢50名です。女性は12名の参加でした。写真は、北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)にて撮影しました。
交流船舶「ロサ・ルゴサ号」 出発
 私達が乗船した船は「ロサ・ルゴサ」。480トンの古い船でした。以前、水産高校の訓練船だったもので、今回が最後になります。来年からは1,200トンの新しい船で、ビザなし交流が行われるとのことです。  根室港の琴平町(ことひらちょう)岸壁で、根室市をはじめ多くの関係者の参加のもと、壮行会が執り行われた後に乗船、関係者に見送られての出航です。
古釜布湾に到着 ロシアの巡視艇
 第2日目の日程は、国後島の行政幹部訪問や空港見学、墓参などです。
 時差2時間の22時30分、国後島の古釜布(フルカマップ)湾に到着、4時間の船旅でした。船酔いをする人が大勢出ました。古釜布の夜景です。5・6年前は明かりが少なく、さびしい港だったそうです。
 夜が白々と明け始めると、いつの間にか、私達の船に寄り添うように、ロシアの巡視艇が停泊していました。船上には前後に機関砲が見えます。
はしけ船舶 ロシアの入国管理官
 島から3~4キロ離れて停泊している私達の船に、入国管理官を乗せた「はしけ船」が着た所です。友好丸と云う字が見えます。  ロシアの入国管理官です。一人一人名前を呼ばれて、顔と写真を見比べてチェックします。タラップをわたり「はしけ船」に乗り移ります。
はしけ船へ乗船 目立つ廃船
 ロシアの規定で「はしけ船」一隻に12名以下しか乗れません。最近までは5~60人乗せていましたが、事故があったようで行政通達が出されたと伺いました。  国後島、択捉島には数多くの廃船が見られます。しかしこれでも以前に比べたら随分、解体処理されたと伺いました。浅瀬に座礁した船でしょうか。半分以上は拿捕船と聞きましたが定かではありません。
友好の家へ 友好の家
 古釜布(フルカマップ)港から車に分乗して友好の家に向かいました。車は日本製の四輪駆動でした。砂利道と砂ほこりで汚れ、洗車は1度もしたことが無いような車でした。この道は友好の家の前の道です。デコボコ道で水溜りが見えます。  ここが友好の家の正面玄関です。玄関では娘さんが歓迎のパンを持って迎えていただきました。パンを手でちぎり、塩を付けていただくのですが、美味しかったです。
ロシアの子が書いた習字 裁判所
 ロシアの子供が習っている書道が掲示されていました。講師の方に聞きましたら、書を絵感覚で覚えているのではないかと話していました。  この建物は新しい裁判所です。道は最近舗装されていて、国後では全長4キロの内の1か所です。歩道も舗装している所でした。道路の舗装はクリル発展計画の一環で今後益々舗装率が高くなるものと思われます。
ルイカ保育幼稚園 年長児の授業風景
 ここはルイカ保育幼稚園の幼児用ベッドルームです。きれいで清潔感が伺えました。0歳から未就学児を預かり受けています。保育料は無料ですが、食事料は保護者負担だそうです。  来年小学校に入学予定の年長児の授業風景です。もう一人一人がきちんと座り、先生の話を聞けるようになりました。いつでも小学校に入学できますと先生から紹介されました。先生の給料は本土の約2倍と厚遇されているとのことでした。
日本人墓地の墓参 メンデレーエフ空港
 古釜布の日本人墓地の墓参の様子です。草の中に小道があり、貝殻で縁(ふち)どられていました。ロシアの人が整備したようです。日本の墓石は小さく草に埋もれていました。  メドベージェフ大統領が昨年11月1日に降り立った、メンデレーエフ空港です。空港建屋は閉鎖され無人でした。正面の花壇が草で覆われてこの通りです。今後この空港は商業、観光の拠点として、道路舗装やアクセスを充実させるとのことです。
国後島行政府 郷土史博物館
 真新しい国後島の行政府です。行政府前は広大な未開発の草原でした。  郷土史博物館には、動植物の写真、剥製、発掘された土器などが飾られていました。またこの島の先住民はアイヌ人であることが誇張(こちょう)されていました。日本の元首相の写真の中に、鈴木宗男氏の写真が飾られていました。
メドベージェフ大統領視察 民間住宅の玄関
 メドべージェフ大統領がソ連時代を含めて、大統領としては初めて視察された時の写真もありました。  郷土史博物館が入っている建屋にある民間住宅の玄関です。極寒のせいでしょうか、古い建物の外壁は板塀で傷んでいますが、私達がホームビジットで訪れた部屋の中は小奇麗に整理されていました。
建設中の埠頭 芸術公演
 2008年から10億ルーブル(約40億円)かけて建設中の埠頭です。水深4.5m、7.0m、12.0mの桟橋を整備して、2,500トン級の客船が接岸できます。また出・入国管理ができるターミナルビルを建設中です。来年のビザなし交流には間に合うとのことです。  島の文化を知ってもらうため、スラム民族の踊りや、演劇「イワン・クバーラの祭り」を子供や青年男女が一生懸命に披露してくれました。子供たちの父兄も大勢応援に駆けつけてくれました。私達も踊りの中に加わり、共に楽しく踊りました。
島唯一のお店 マトリョーシカ
 島で唯一のお店です。日本のコンビニです。島への円の持ち込みは3,000円でした。土産品は何処にも有りませんでした。  
ここから択捉島です
旧紗那郵便局 旧日本水産会社事務棟
 第3日目は、択捉島で対話集会、ホームビジットなどです。
 ここが紗那(シャナ)にある日本時代の郵便局建屋です。7年前まではロシアが郵便局として使用していました。新郵便局建設後は廃墟になっています。今回もこの建物を日露の友好のシンボルとして保存してほしいと主張しました。
 ここも日本の水産会社事務棟でした。当時の水産業の隆盛(りゅうせい)を物語るように、しっかりとした建物です。2001年まではロシアが、住宅供給事務所、共産党事務所、新聞社等が使用していたと云います。
日本人墓地墓参(紗那) 行政関係者との対話集会
 紗那(シャナ)の日本人墓地の墓参の様子です。日本人の墓石は草むらに覆われて寂しげでした。日本人からの共同墓石碑も建てられていました。日本人墓石に手を合わす団員の姿です。  新しい芸術学校で行われた紗那(シャナ)行政関係者との対話集会です。袴田教授から旧日本の郵便局と水産会社建屋を保存してほしいと強く要請しましたが、サハリン知事に必ず報告するに留まりました。この件は後に読売新聞に掲載されました。
新興住宅街 ホームビジット
 車の中から撮った新興住宅街の写真です。1994年の大地震のせいか、古い家屋は壊されて振興地に新しい家屋が目立ちます。崩壊した家屋もまだ散見されますが、クリル発展計画の一つの住宅政策であると受け止めました。  ホームビジットでお尋ねした家は、二人とも女性教師の家でした。元島民の方と4人で伺いました。通訳がいなかったので、会話集片手に楽しい談議でした。
レントゲン室 公園
 この建物は紗那(シャナ)のレントゲンを撮る建屋だと聞きました。医療が立ち遅れています。  ここは日本の童謡や歌を石に刻み、造られた公園です。川や滝などを駆使しています。日本人の寄付によって造られているそうです。
ヤンケトウ草原と戦車 新択捉空港建設現場
 ヤンケトウ草原の写真です。一面にニッコウキスゲの花が歓迎してくれました。また、戦車が50メートル間隔に配備されて腐食していました。  新択捉空港建設現場です。青い建物が管制塔や発着ロビーの予定だそうです。工事が遅れている原因は、樺(から)太(ふと)政府が滑走路の距離を伸ばせと言ってきたり、基本計画が変更しているのが原因と言われました。国からは何故完成しないのかと強く言われています。
ギドロストロイ社の水産加工場 海岸に作られた足湯
 第4日目は、択捉島での水産工場見学、住民交流会などです。
 別飛(ベットブ)のオーヨ湾の展望台からは「ギドロストロイ」社の水産加工場が見えます。サケマス孵化場などが眼下に確認できます。湾は馬蹄形で穏やかな入り江です。別飛(ベットブ)水産加工場を視察しましたが、若い男女が多く働いているようです。給料は実働時間給で、月に20~30万円と高額です。本土からの出稼ぎも多いそうです。
 海岸に作られた足湯の風景です。他にバーべキューや公園などが造られて、ロシアの人たちが、余暇を楽しめるような施設に力を入れているなぁと思いました。
ホームビジットでお世話になった方と スポーツ交流会
 前日お世話になった先生たちが、これから始まる住民交流会に参加するために、私達を訪ねてくれました。日本へのビザなし交流にエントリーしていると聞きました。選ばれたら、必ず連絡を下さいと約束しました。  スポーツ交流会は奈良県民会議が中心となり、グランドゴルフを楽しみました。ロシアから40名が参加し、優勝はデギリ教育課長代理(女性)でした。終了後道具を各県民会議負担でロシアに寄贈しました。
住民交流会 夕食交流会
 住民交流会はギドロストロイ体育館で行いました。ここは住民のスポーツジムです。テーマは「地域における健康づくり」と題して、中尾副団長、デギリ教育課長代理のもとで進められました。  夕食交流会がロシア行政府首脳も参加して内岡(なよか)で行われました。歌や踊り等が披露され、領土問題がありますが、国民レベルの友好と信頼関係を深められた交流会となりました。
見送り風景 古釜布へ戻る船内
 内岡港(なよかこう)での見送り風景です。きれいなドレス姿での見送りです。最後の人を見送るまで約1時間、手を振ってくれました。お世話になりました。また逢う日まで。  ロサ・ルゴサに戻り、古釜布へ向けて就航です。船上では早速釣り糸を垂らしてカレイ、カジカの大収穫です。ダンボールをまな板に、見事な包丁さばきに拍手喝采(かっさい)。12時間の船旅があっという間でした。
根室港入港、出迎えの様子 袴田教授からの講話
 最終日は、解団式後に解散でした。古釜布で手続きを終え、9時40分根室港に向けて出航、途中船内で解団式を行いました。根室港入港12時10分、根室関係者の出迎えを受けました。下船後、千島会館で解散しました。その後代表者の記者会見がありました。  最後に写真の青山学院大学、袴田茂樹教授から事前研修で次のようなお話がありましたので、ご披露します。

1)隣国のロシアや中国、北朝鮮、韓国、東南アジア、その他世界の国々は皆、国家主権の問題について、真剣勝負のギリギリの処遇で食い止めている。日本人はあまりにも鈍感である。日本の国も政府も外務省もそして国民も国家主権の問題に毅然と立ち向かうよう訴えられました。

2)また、「返還運動しても報われない」とか「どうせ島は帰ってこない」と云う人もいるが、当初「領土問題は存在しない」云うところからスタートして、多くの先輩が机をたたき激論をして、ようやく「四島問題を解決して平和条約を結びましょう」というところまで来ました。従って皆さんにも今まで以上に返還運動に力を入れてほしいと訴えられました。

ここにご報告して、私からも重ねてお願い致します。

最後までご覧いただきありがとうございました。
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