四島のかけ橋
第37号 北方領土返還要求運動神奈川県民会議
平成17年8月16日 発行人:綾井 祐一
北方領土返還要求運動神奈川県民会議 平成17年度総会を開催
 北方領土返還要求運動神奈川県民会議では、去る7月25日(月)午後2時より、横浜市西区紅葉ヶ丘二番地「もみじざか じょいぷらざ」(神奈川県婦人会館)2階会議室に加盟四十四団体代議員を招集、(出席20名、委任20名)平成17年度北方領土返還要求運動神奈川県民会議総会を開催した。
 第1号議案役員の選任については、新堀典彦会長に替り、先の県議会で新たに神奈川県議会議長に選出された牧島 功氏を選出、同会長より別掲の如く就任にあたっての挨拶があった。
 次いで、第2号議案より第5号議案に至る各議案を全会一致で承認され、同2時47分閉会した。

新会長に 牧島 功 県議会議長を選出
 総会は午後2時、綾井事務局長の司会による開会の言葉で始まり、議長には指名により連合神奈川の白石会長が就任。
 第1号議案役員の選任については、選出母体の役員改選と任期が満了になった前神奈川県議会議長の新堀典彦氏と、前日本青年会議所関東地区神奈川ブロック協議会会長の大川裕氏に替り、会長には神奈川県議会議長の牧島 功氏を、副会長には、日本青年会議所関東地区神奈川ブロック協議会会長の三荒弘道氏を新たに選出した。(新役員については、別掲の通り。)
 次いで、第2号議案平成16年度事業報告より第5号議案平成17年度収支予算(案)を、綾井事務局長提案通り可決し、同2時47分閉会した。
総会

会長就任にあたって

神奈川県議会議長  牧島 功
昭和62年(横須賀市選出)県議会議員初当選、以来連続5回当選。
この間、基地対策特別委員会、行財政制度調査特別委員会、総務企画常任委員会、議会改善のための検討委員会、決算特別委員会、議会運営委員会等の委員長を歴任。
また、知事表彰(地方自治功労)、全国都道府県議会議長会表彰(10年)、同(15年)、神奈川県議会議員表彰(15年)等、数々の表彰を受けられた。 神奈川県出身 60歳

 ただいま、皆様方よりご推挙いただき、会長に就任いたしました県会議長の牧島でございます。
 神奈川県議会の慣例によって、議長は一年で交代することから、新堀前議長の後を引き受けて、いわば当て職で会長に就任するものでありますが、心の中では喜びでいっぱい牧島新会長でございます。
 私も青年会議所に長くおりまして、北方領土問題の活動を長らく続けてまいりましたが、自民党の神奈川県連の青年局長時代には、全国キャラバンとして車で方々を廻って鍛えてきたという実績もございます。
 この節目の年に会長に就任できるのも何かの縁かなと感激しているところであります。まして今年は、日露通好条約150年目の節目の年でもあります。併せて、戦後60年目の還暦を迎えたというわけでありますが、これはとりもなおさずロシアに不法占拠された北方領土が、60年間帰ってこないということを意味する訳でございます。
 これは極めて残念なことであり、私たちの運動もしっかりと目標を定めてやっていかなければならないところであります。特に、北方四島に暮らしていた方たちの高齢化も厳しいものがあり、平均年令を考えても70歳を超えるまでになっております。
 先日、ある漁業関係者からもお話を聴いたのですが、「どうやら択捉島には水産加工工場の姿が垣間見られる」、「それもどうやらロシアのものではなさそうだ」、「ことによったらドイツやアメリカ等の水産加工工場が建っている」というようなお話も耳にしました。こういうことに関して、日本政府は敏感でないところがございます。こういったことが竹島問題や尖閣問題にも現われているし、ましてやこの北方領土問題が一向に進まないことにも現われているところであります。
 ロシアとの友好条約締結はひとつの悲願ではありますが、その前にきちんと片付けるものは片付けないと、私たち日本国民共通の願いは実現しないだろうと思うのであります。今までの20年間、皆様方は一生懸命活動をつづけてきました。こうした活動の一助となりますように、私たちの悲願が達成されますように、これから一生懸命努めてまいりますので、ご指導とご支援のほどよろしくお願いいたします。
平 成 17 年 度 役 員
役 職 名 氏  名 団 体 等 の 職
会  長 牧島功 神奈川県議会議長
副会長 白石俊雄 日本労働組合総連合会神奈川県連合会会長
三荒弘道 日本青年会議所関東地区神奈川ブロック協議会会長
事務局長 綾井祐一 前日本青年会議所北方領土推進委員
理  事 木原英和 神奈川県商工会議所連合会常務理事
原田喜代治 神奈川県農業協同組合中央会常務理事
山中博子 神奈川県地域婦人団体連絡協議会会長
石渡由紀夫 日本労働組合総連合会神奈川県連合会副事務局長
蓮見勇 北方領土問題対策協会神奈川県推進委員
監  事 岩澤直捷 神奈川県中小企業団体中央会専務理事
関野勇 神奈川県傷痍軍人会会長
事務局次長 石渡由紀夫 日本労働組合総連合会神奈川県連合会副事務局長
事 務 局 神奈川県県民部県民総務課NPO協働推進室内
〒231-8588 横浜市中区日本大通1 電話(045)210-3621
2005年は日魯通好条約署名150年です。
取り戻せ歴史も語る北の四島(しま)
平成16年度標語 理事長賞         福岡県田川市 原田 祥二郎 氏

11月20日~22日 プーチン大統領が訪日 期待と不安・・・こもごも・・・
G8首脳会合出席のため、英国グレンイーグルスを訪問中の小泉総理大臣は、現地時間7日午後3時35分過ぎ(日本時間7日午後11時35分過ぎ)より約30分間、グレンイーグルス・ホテル内において、プーチン露大統領と会談したところ、プーチン大統領が本年11月20日から22の日程で訪日することで合意した。
 両首脳は、日露関係が、「日露行動計画」に基づいて幅広い分野で着実に進展していることを歓迎するとともに、プーチン大統領の訪日に向け日露協力を一層進めていくことで一致した。
 北方領土問題については、困難な問題ではあるが、小泉総理とプーチン大統領が、共に政治的指導力を発揮して、しっかり取組んでいくこと、特に、両国外務大臣、外務当局間で力を合わせて努力していくことを確認した。(以上、平成17年7月8日、外務省欧州局ロシア課発表より抜粋)

 私たちは、橋本首相時代のエリツイン前大統領との「川奈会談」で、『2000年迄に平和条約を締結し領土問題を決着する』という約束を反古にされた苦い経験がある。また、筆者は、神奈川県民会議が四島在住ロシア人を横浜で受入れ懇談した際、同席した在住ロシア人女性教師に、「領土問題について、ロシア本国ではどのような取り上げ方をしているか?」と質問したところ、『本国では、種々解決すべき課題が多くあり、領土問題は順位から言えば、かなり後の方になる。』と答えられ、少なからず失望した記憶がある。 不法占拠され、かつ、戦後60年を経過した。「領土問題」は未だに解決していない。
 かつて外務省の方から、『領土問題を交渉で解決することは至難の技だ』と言われたことも忘れない。 しかし、プーチン大統領への期待は大きい。が、また糠喜びとなるやと一抹の不安もある。 どのようになるか、冷静に見守りたい。「領土問題」については、戦後は終ってないのだ。(蓮見)

「祈りの火」特別事業
四島のかけ橋と祈りの火
祈りの火とは
 「祈りの火」は、「北方領の日」が制定された昭和56年、全国民の悲願である北方領土の早期返還を実現するその日まで燃やし続けるため、昭和47年、祖国復帰を果した沖縄県の波照間島で採火された。
 その後、全国縦断キャラバン隊により、北海道根室市まで搬送され、同年9月27日、納沙布岬にある「四島のかけ橋」灯火台に点火され今も燃え続けている。
県民会議としては
当県民会議としては、来る9月26日(月)納沙布岬「四島のかけ橋」にて点火し、リレーで「ときわ台公園」(根室市役所隣)に搬送される「祈りの火」分火式に、代表2名が全国の仲間と共に参加する。
 その後、10月3日(月)までの間に、各県民会議毎のセレモニーを実施することとなっている
 当県民会議としては、その具体的実施内容について検討し、改めて会員各位に、ご連絡することとしている。

目で見る北方領土の旅
期  間 10月12日(水)~14日(金)
人  員 30名(予定)
代  金 お一人様 88,800円(交渉中)
申込〆切 9月22日
問 合 せ 〒231-8588 横浜市中区日本大通り1
TEL:045-210-3621 県庁県民総務課 NPO協働推進室 米岡まで

終戦60年に懐う
 終戦(一九四五年、昭和20年)の際、17歳の少年だった自分が77歳となり、そうかあれから60年経ったのかと、よくぞ生きてきたなあという実感と、過ぎ去りし歳月の重さを感じた。 終戦の前年、父は病死し、兄4人は残らず軍隊に召集され(内2名は戦死)、家は終戦の年の5月29日空襲により焼失、残された母と、女学校に入学したばかりの妹と3人で、バラック小屋での日常がその頃の生活であった。 祖国は、首都東京はじめ国土の目ぼしい都市はことごとく空襲により焼滅、沖縄が落ち、広島、長崎に新型爆弾(原子爆弾)が投下され、有史以来、初めての無条件降伏をした。 今、思えば笑い話にもならないが、終戦のその日まで、『敵が本土に上陸すれば満を持して戦うべく万全の準備は出来ている』という軍の「水際作戦」を信じ、銃剱の支給はあるだろうと、鉢巻と水筒だけは用意していた自分だった。 何しろ、旧制中学に入学したのが昭和16年4月(一九四一年)、その年の12月8日に大東亜戦争(太平洋戦争)勃発、中等野球(現高校野球)は中止、正課となった軍事教練で習志野、富士裾野での軍事演習、在学2年半位で、あとは、農家、工場へ勤労動員、その上、5年制が4年制となって、終戦の20年3月に繰上げ卒業と夢も希望もない軍国少年の日々だった。 戦争末期の鈴木貫太郎首相は就任挨拶で、『国民の皆さんは、私の屍(しかばね)を乗り越えて云々』と述べているのをニュース映画で観、(随分、悲壮なことを言うなあ)と思ったものだが、後年、その事に触れた鈴木元首相は、『状態が駄目な時は、わざと出来るだけ勇ましいことを言うものだ』と述懐していた。 しかも、鈴木首相は何とその実、「終戦処理内閣」であったという、いやはや、また何おか言わんやである。 その後、東條元首相が米軍による逮捕寸前に、ピストル自殺に失敗、米軍医により手術を受け、その礼に軍刀を贈ったとか、天皇がモーニング姿でGHQ(連合軍総司令部)に行き、ノーネクタイで手を腰に廻したマッカーサー元帥との写真を観た時も、情けないなあとは思っただけだったが、米軍の病院で、彼等の残飯をもらう人々の中に、モンペ姿の女学生の姿を観た時はショックだった。 お下げ髪の丸顔を今も憶えている。未だ、花恥しい年頃なのに空き缶を持って、これが昧だったらどうしようと思った。この時こそ戦争をうらみ、戦争を起した者を憎む気持が湧いたことはなかった。私の反戦への原点は、そこから生れたと今も思う。(蓮見)
灯  台
 去る4月16日、下田市「まどが浜海遊公園」広場にて、「日露修好150周年記念式典」があり、筆者はこれに参加を得、当日は日本側小泉首相、ロシア側ロシュコフ駐日ロシア大使の祝辞があり、記念植樹もあり、遠き150年前、下田にて、両国の国境は、択捉島とウルップ島の間と決められ、択捉、国後、色丹、歯舞群島は日本の領土とし、ウルップ島から北、千島列島はロシア領と定められた歴史的な事実を確認した。 次いで同月24日、同じく下田市「ホテル伊豆急」での、「北方四島在住ロシア人受入れ特別交流会」にも参加する機会を得た。 その際、感銘を受けたことと、ショックを受けたことの二つの事があった。一つは、幕末の下田奉行の時代に、台風、津波により、下田港に寄港していたロシア艦船が損傷し、これを当時の下田の船大工が協力し、鋼鉄の船は初めてであったが修復したこと、また亡くなったロシア船員を手厚く葬ったこと、(その墓を全員でお詣りした)改めて日本人の善意と人情の厚さを痛感した。 今一つは、対語集会の中で、ロシア人主婦が、『父母と自分たちと、その子供で、すでに三代在住し、故郷となっている』ことを発言したので、筆者は「生れ故郷に六〇年も帰る事が出来ず、高齢化が進み、他界して了った人も多い」と反論し“日本人こそ、やりきれなぬ事を強調した。ショックだった。(蓮見)
編集後記
◇新堀前会長、ご苦労さまでした。
◇牧島功新会長、よろしくお願い申し上げます。
◇全国戦没者慰霊祭に、親御さんの出席なし。また、遺骨収集も打切りとか、これも60年の経過か。  (蓮)
2005年は日魯通好条約署名150年です。

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