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第43号 |
北方領土返還要求運動神奈川県民会議 |
平成20年8月15日 |
発行人:綾井 祐一 |
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北方領土返還要求運動神奈川県民会議 平成20年度総会を開催 |
北方領土返還要求運動神奈川県民会議では、去る7月30日(金)午後2時15分より、横浜市西区紅葉ヶ丘2番地「もみじざかじょいぷらざ」(神奈川婦人会館)1階会議室に、加盟団体よりの代議員を招集、(出席16名、委任28名)平成20年度北方領土返還要求運動神奈川県民会議総会を開催した。第1号議案役員の選任については、松田良昭会長に替り、先の県議会で新たに神奈川県議会議長に選出された榎本与助氏を選出、同会長より別掲の如く就任にあたっての挨拶がなされた。次いで、第2号議案より第5号議案に至る全議案を全会一致で承認、同3時15分、閉会した。 |
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新会長に榎本与助県議会議長を選任 |
総会は、午後2時15分、久保田理事(事務局次長)の司会による開会の辞で始まり、議長には指名により、白石副会長が就任。第1号議案、役員の選任については、任期満了になった、前神奈川県議会議長の松田良昭氏と、前日本青年会議所関東地区神奈川ブロック協議会会長の久保田英賢氏に替り、会長には、神奈川県議会議長の榎本与助氏を、副会長には日本青年会議所関東地区神奈川ブロック協議会会長の柴田正隆氏を選出、また理事退任による新理事の選出も行い承認され、次いで第2号議案、平成19年度事業報告より第5号議案平成20年度収支予算(案)を綾井事務局長が掲案し、全会一致で承認され、同3時15分閉会した。 |
総会で挨拶する榎本新会長-紅葉坂じょいぷらざ1F |
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昭和62年、県議会議員初当選、以来連続6回当選(相模原市選出)。この間、行財政制度調査特別委員会、スポーツ振興対策特別委員会、警察渉外常任委員会、厚生常任委員会、公営企業決算特別委員会、議会改善のための検討委員会、議会運営委員会、各委員を歴任。また知事表彰(地方自治功労)全国都道府県議会議長会表彰(10年、15年、20年)神奈川県議会議員表彰(15年、20年)等、数々の表彰を受けられた。神奈川県出身。62歳 |
◇榎本新会長◇ |
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会長就任にあたって |
ただ今、会長に選任いただきました、神奈川県議会議長の榎本与助でございます。どうぞよろしくお願いいたします。本日は、昭和60年に県民会議が設立されて以来、24回目の総会を迎えたわけであります。戦後早くも63年が経過いたします。そして日ソ間で共同宣言が締結されて、国交が回復されてから、すでに半世紀を数えています。とはいっても、日本国民の悲願であります北方四島の返還、しかも一括返還については、長年の間いろんな交渉を続けてきておりますけれども、未だにその進展が図られないことは、誠に残念だなと思っております。私事でありますが、私も学生時代から北方領土返還運動には、一汗も二汗もかいてきた経験をもっております。学生時代には毎年のように年に一回か二回は、北海道にまいりまして、根室、室蘭等々を中心に北海道全域を遊説活動をしたり、また、返還運動を北方だけで行うのではいけない、日本国民がこぞって、この問題に理解を示していただいて、全国各地から熱い狼煙をあげてもらわなければいけないと思い、夏休みの丸一ヶ月間をかけて、九州全土を遊説した事もあります。今回、はからずも会長という役をいただくことになりまして、ある意味では喜んでおりますし、また昔を思い出して感無量な思いもあります。北方領土について、長い間のいろいろな歴史をひもとくと、全く理不尽きわまりないと言わざるを得ません。と言っても、それをいたずらに悔むことではなく、神奈川県の中で神奈川県民会議として県民の皆さんに一人でも多く、この問題に理解を示していただく、このことが、県民会議の運動を続行する最大の目標ではないかと、理解しております。県民の皆さん、とりわけ次代をになう若者の中には、「北方四島の」歯舞、色丹、国後、択捉という島名さえもきいたことがないという人達もいるかも知れません。そういう事を少しでも解消出来ることも運動の大きな目標の一つになるのかなと思っております。このような意味で、四島の存在、四島の名前など、若い人達にも理解していただけるような運動が出来たらいいなと考えているところであります。総会はじめ、いろいろな活動に参加いただいて、国民の悲願であります四島返還、一括返還という大きな目標に向かって前進をしていきたいと考えております。いたらない新会長ですが、副会長をはじめ事務局長、理事、役員の皆さんのご支援よろしくお願いいたします。 |
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平 成 20 年 度 役 員 |
役 職 名 |
氏 名 |
団 体 等 の 職 |
会 長 |
榎本与助 |
神奈川県議会議長 |
副会長 |
白石俊雄 |
日本労働組合総連合会神奈川県連合会会長 |
柴田正隆 |
日本青年会議所関東地区神奈川ブロック協議会会長 |
事務局長 |
綾井祐一 |
前日本青年会議所北方領土推進委員 |
理 事 |
横田和浩 |
神奈川県商工会議所連合会専務理事 |
原田喜代治 |
神奈川県農業協同組合中央会常務理事 |
松尾美智代 |
神奈川県地域婦人団体連絡協議会会長 |
蓮見勇 |
北方領土問題対策協会神奈川県推進委員 |
久保田政宏 |
日本労働組合総連合会神奈川県連合会副事務局長 |
松井佑子 |
横浜市女性団体連絡協議会理事 |
井上早苗 |
川崎市地域女性連絡協議会会長 |
監 事 |
関野勇 |
神奈川県傷痍軍人会会長 |
西森義博 |
神奈川県中小企業団体中央会専務理事 |
事務局次長 |
久保田政宏 |
日本労働組合総連合会神奈川県連合会副事務局長 |
事 務 局 |
神奈川県県民部県民総務課NPO協働推進室内 |
〒231-8588 横浜市中区日本大通1 電話(045)210-3621 |
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語り継ごう たゆまぬ努力で 四島返還 |
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北方領土はこんなに大きい |
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われわれが返還を要求している北方領土 |
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択捉島 |
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3,184平方キロ |
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国後島 |
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1,499平方キロ |
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沖縄本島 |
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1,199平方キロ |
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佐渡島 |
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854平方キロ |
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奄美大島 |
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712平方キロ |
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淡路島 |
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591平方キロ |
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【独立行政法人 北方領土問題対策協会実施事業】 |
実施時期 |
実施場所 |
事 業 名 |
4/11 |
東京都 |
都道府県推進委員全国会議 |
5/30 |
栃木県 |
関東甲信越ブロック会議(2名参加) |
6/10-6/16 |
青森県 |
北方四島交流青少年受け入れ事業 |
7/26-7/27 |
千葉県 |
関東甲信越ブロック青少年交流事業(神奈川県より教諭1名、生徒3名参加) |
8月 |
全国 |
北方領土返還要求運動全国強調月間 |
8/12-8/13 |
根室市 |
北方領土問題青少年・教育指導者現地研修会(神奈川県、横浜市及び川崎市各1名参加) |
8/21-8/25 |
色丹島・択捉島 |
北方四島交流事業 |
9/3-9/4 |
根室市 |
北方領土ゼミナール |
11月 |
宮崎市 |
都道府県民会議代表者全国会議 |
2月 |
全国 |
北方領土返還要求運動全国強調月間 |
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【北方領土返還要求運動神奈川県民会議実施事業】 |
7/30 |
横浜市内 |
理事会・総会 |
10/15-10/17 |
根室市等 |
北方領土視察研修事業 |
11/10 |
横浜市内 |
神奈川県民大会 |
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目で見る北方領土の旅 |
期 間 |
10月15日(水)~17日(金)2泊3日 |
人 員 |
定員20名(最小催行人員15名) |
代 金 |
参加費 79、000円 |
申込〆切 |
9月12日(金) |
問合せ |
〒231-8588 横浜市中区日本大通1 |
TEL:045-210-3890 FAX:045-210-8831 |
北方領土返還要求運動神奈川県民会議事務局 松本まで |
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灯 台 |
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私は、昭和三年(1928年)生まれで、今年丁度80歳になる。若し、人が「あなたの人生に何かしらの影響を与えたものは、何だったでしょうか?」と尋ねられたら、私はためらわずに「戦争」と答えるだろうと思う。人生で一番楽しく思い出に残る時期と言えば、少年から青年への、いわゆる青春期だと思うからだ。その一番輝ける時期に、戦争という大きな蓋がのしかかってきたのである。小学校三年生の時に「支那事変」が起き、通学以外に先生に命じられたのは、出征兵士を送る(兵隊送り)、区民葬(戦死した兵士をむかえる)など、軍事に関することだった。六年生の修学旅行(伊勢神宮)は、昭和十五年(1940年)が最後となった。土産を買おうにも何も無かった。翌十六年(1941年)十二月、大東亜戦争が起こり(太平洋戦争)、旧制五年生の中学は四年制となり、英語は科目から消え、教練(軍事教育)が始まった。千葉県習志野や、静岡県富士裾野への軍事教練となり、人事不足となった農家、工場へ動員となり、四年在籍の学校も実質二年半となり、当時の中学野球(現高校野球)もなくなたった。昭和
二十年(1945年)五月、空襲により家を焼失、父は病死、兄四人は出征(内二名は戦死)、バラックを建て、母、妹と三人の生活は、十七歳の私にのしかかった。そしてこの国は降伏、北方四島はソ連に占拠された。(蓮見) |
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編集後記 |
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◇ |
松田前会長、一年間、ご苦労さまでした。ありがとうございました。 |
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榎本新会長、ご挨拶で学生時代、北方領土返還運動をなされていたということを聴き、大先輩として親しみが湧きました。どうぞよろしく。 |
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上記の「灯台」の文面、いささか私事に過ぎない内容になりましたが、大なり小なり、当時の少年達も同様だったと思います。 |
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私の言いたかったことは、あく迄も「戦争反対」です。「北方四島」も戦争によって起こったこと、戦争は絶対にしてはならぬという思いで書きました。 |
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(蓮見) |
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